三橋達也氏インタビュー 29
川島さんが意識した監督
**** 川島監督が他の監督の話を
されたことはありますか
 
三橋

あのね、稲垣(浩)巨匠のことは
意識してましたね。

暮れの、今年もこれで終わるっていう時に
僕を京都へ遊びに連れていって
くれたことがあるんですよ。

お金がないわけですね、お互いに。
川島さんも借金取りが来るから、
逃げたいじゃないんですか。

僕もその年の暮れを送るのにね、
その当時のお金で四十万円ぐらいいるんですね。
でないと借金を払えない。

そういう時に、さっきの中野英治さんがね
高利貸しをやってたんですよ。
その中野さんが、
「暮れ、今年はいくら要るの?」って、
用意してくれるわけですよ。
僕のことを、可愛い自分の息子みたいな気でいたから。
「四十万円ぐらいいるんだけど。」
「用意しといたよ」って言うんで。

そしたら、その後で川島さんから、
「達ちゃん、なんとかしてくれねえか、
中野さんに話してくんないか。」
中野さんのところに行ったら、
「もうないよ、今年は。」って。

全部ね、大映の脇役の人やなんかにね、
貸してたんですよ、それを。
みんな、コレがいたりなんかする人で、
それで利子をとった。
「割当てはない。どうしてもあれなら
お前さんのやっぱり恩師なんだから、
自分の分だけ回しなさい。」って言われて。
しょうがない。回したんですよ、訳を話してね。

そしたら、そのお金で僕を招待してくれて。
京都へ行って十日間遊んで、
祇園で舞子さんをあげたりなんかして。
そういう人ですよ。

そのときね、「達ちゃん、見に行こう」って、
「一番先に(稲垣監督が撮った)
『太夫(こったい)さん』 (1957・宝塚映画) を見に行こう」
と言って。
タクシーで伏見の先まで行ってね、
場末の小屋で二人で見ましたよ。

要するに、京都の遊郭の話ですよ。
乙羽信子ちゃんが主演でね、
それで淡路恵子が助演女優賞を取ったんです。
淡路恵子は遊女の役でね、花魁道中が出てくるんです。
実に正確に表現してましてね。
それをもう、一生懸命見てましてね。終わってから、
「祇園に戻るか、どこかその辺で
ゆっくりこれから飲もうか。」っていうような。

ぼくはちょっと、淡路くんのことをからかった。
淡路はよくやるだろうと思ったら、
ちょっと、わざとらしいところがあったんでね。
「どうです、よくないですね。」
そしたら怒ってましたよ。
「いや、よくやっているよ」ってすごく怒った。
「そうですか。」って言って。
そういう思い出がありますね。
 

**** 『幕末太陽傳』も同じ廓(くるわ)を
舞台にしてるから、監督としては何か・・・
 
三橋 そのころから、『幕末太陽傳』の
アレがあったかもしれませんね。
要するに遊女の遊郭の話ですから。
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