三橋 | で、東宝に移るにあたって、中野さんと手を切った。 中野さんは、要するにマネージャーという肩書だけで 何もしなかったんですね。マネージャーがね、 僕の明日の撮影の予定を知らせてくれるわけでもない、 何にもしないんだから。 |
**** | それで三橋さんのフィルモグラフィーでは、 東京映画へ移ってしばらくは、東京映画だとか 宝塚(映画)に出てるけれど、東宝は少ないんですね。 なぜか、歌舞伎座映画とかに出ているのは・・・? |
三橋 | それも、中野さんですね。 (僕を)動かさないとお金にならないから。 つまり、あれ(三橋)持ってきますから、 私にこれこれと・・・。 そういうことなんです、どうも。 はっきりとはつかんでないですけれど |
**** | 東宝本家に移ってからは、そっちの方が メインになって、東京映画とか宝塚には 客演でたまに出る程度になった。 |
三橋 | そうですね。 |
**** | ですから川島さんとの仕事は 『花影』 (1961・東京映画) が最後に なってしまったわけですが、 ちょうどそのころ、例の大映での仕事が 始まってますね。大映から戻ってきて、 変わられたような感じはしましたか。 |
三橋 |
いやその辺は知らなかったですね。 三熊(将照)っていう大映のプロデューサーがいまして、 |