三橋達也氏インタビュー 22
名チーフ今村昌平
**** 『幕末太陽傳』を撮っているころは、当時の
日活では、時代劇を撮っている最後の方ですね。
 
三橋 そうですね、時代劇はほとんど撮ってなかったですからね。
マキノ(雅弘)さんが、河津清三郎さんで撮ってる作品とか、そんな程度しか記憶にないからね。
 
**** 川島さんから時代劇、『幕末太陽傳』を
やるにあたって、苦労話とかを聞いたことはありましたか。
今まで現代劇しか取っていなかったから、勝手が違ったと
思うんですが・・・?
 
三橋

それはあまり聞かなかったですね。
やっぱりそういうのを全部きちんとやったのは、
今平(今村昌平)がしっかりしてるからですね。
あれは名チーフでしたから。

谷村錦一という、読売新聞の文化部の部長までいって
やめた批評家がいたんですが、この人が川島さんと
同じ好みの落語好きでね、よく話をしてて。
だから、台本を書くときも谷村さんがかなり
アドバイスをした。そういうことはありました。
 

**** 川島さんは自分でも知っていたけど、
そういう知っている人にアドバイスを得て
プロットをまとめたりしたと。
 
三橋 ことに、落語ですからね。
彼は後に、日本テレビの生田スタジオの
社長になりまして、亡くなりましたけど。
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