三橋達也氏インタビュー 21
「幕末」に出演しなかった訳(3)
**** その後、『嵐を呼ぶ男』 (1957・日活) とか、
いろんな作品で裕次郎が伸びてきて。
 
三橋

あれは実は、僕がやる予定だったんです。
僕とジョージ川口の付き合いから、
ドラマーの役を、っていうことだったんです。
それを僕が日活を出るんで、そしたら彼になった。

いろんなことがありましたよ。
その『勝利者』が、僕が日活をやめてからね、
あれが石原裕次郎主演、っていうポスターになっていた。
これは、僕の出番を切っちゃってあるのかなと思った。
そうすると話にならないから、おかしいって思って。
そしたら出番はあるらしいんだね。
あるんだけど、うんと軽い扱いに編集し直したらしい。

石神清っていう、日活の元宣伝担当重役がいまして。
フジテレビの『3時のあなた』のお別れパーティーに
僕が招待されていたときです。
そのパーティー会場に彼がいて、
「あ、達ちゃん、会いたかった!」
って大げさなんでね、涙ぐんでいるんです。
「達ちゃんには、いっぺん会って謝りたかった。」
って言うんです。
「なんですか?」って言ったらね、
「いやあ、実は(日活社長の)堀(久作)に
ノセられてな。とにかく裕次郎を売るために、
どんな手でもいいから使えって言われて。
あらゆる手をやったけどダメなんで、
達ちゃんを何でもいいから、悪者にしろって
いうことでやったんだ。何でもいいから
三橋達也を悪者にして、裕次郎を売ったんだ。」

石神さんは宣伝課長か何かでね、
一番最初は製作だったんです。
僕がいたときは、製作部長ぐらいまでいってたんですよ。
それがまた、今度は宣伝担当重役かなんかになって、
重役になっちゃったでしょ。それだから、
堀さんにお覚えめでたかったはずなんです。
それが最後に結局、「俺は堀にノセられた。」って。

日活をやめて、もうそのパーティーの時には
鹿児島に引きこもっちゃっててね。その時に、
「もうよかった。オレは年でね、
もう、こうやって東京へ出てくるんだって
汽車賃が大変だからね、出てこられない。
まあ引退生活だ。」って言う。

この話はね、西村雄一郎という批評家がよく知ってます。
西村さんはたまたま、石神さんのところへインタビューに
行ったことがあるんです。そしたらその話が出たと。

前へ戻る | 次へ進む

目次に戻る