三橋達也氏インタビュー 10
松竹から日活へ
**** 松竹から日活へ移籍されたいきさつは
 
三橋

小津安二郎監督の『東京物語』(1953・松竹大船)
といった作品のプロデューサーだった
山本武さんが日活に引き抜かれたんですね。
それで目をつけたのが川島さん。で、僕なんです。

川島さん、芝居がかるんだ、
あの人は。知己のある人でしょ。
僕は二、三回、山本さんと話は会って
してたんですけどね、どうも埒があかないんで、
山本さん、川島さんを引っ張りだしたんですね。
僕はもう、『純潔革命』から何からお世話になってますから。
大変仲良くもなったし、僕は撮ってて川島さんの才能に
大変打たれるものがあって、尊敬してましたからね。

川島さん連れてきてね、会うのはしょうがないから、
行き付けだった天ぷら屋の2階をとってもらって、
人がいないようにして、そこで会ったんです。
そしたら、黙って一杯飲んでいて。

僕が踏ん切りをつけられなかったのはね、
松竹大船っていうのは新人を売るメッカなんですよ。
何といっても、新人を売ってスターにしちゃうと。
次から次にスターが出てくる、松竹大船っていうのは。
ですからね、そのために決心がつかなかった。
「まだ松竹にいたいんですよ」 とかね。

そしたらね、いきなり川島さんがね、
「おまはんが来てくれないと、俺は写真がとれないンだよ!」
なんて、大阪弁ぶって言って。
そう言われて、もう僕はそこまで監督が
言ってくれるんだったらと思って
「分かりました」って、言ってね。

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