小津安二郎監督の『東京物語』(1953・松竹大船)
といった作品のプロデューサーだった
山本武さんが日活に引き抜かれたんですね。
それで目をつけたのが川島さん。で、僕なんです。
川島さん、芝居がかるんだ、
あの人は。知己のある人でしょ。
僕は二、三回、山本さんと話は会って
してたんですけどね、どうも埒があかないんで、
山本さん、川島さんを引っ張りだしたんですね。
僕はもう、『純潔革命』から何からお世話になってますから。
大変仲良くもなったし、僕は撮ってて川島さんの才能に
大変打たれるものがあって、尊敬してましたからね。
川島さん連れてきてね、会うのはしょうがないから、
行き付けだった天ぷら屋の2階をとってもらって、
人がいないようにして、そこで会ったんです。
そしたら、黙って一杯飲んでいて。
僕が踏ん切りをつけられなかったのはね、
松竹大船っていうのは新人を売るメッカなんですよ。
何といっても、新人を売ってスターにしちゃうと。
次から次にスターが出てくる、松竹大船っていうのは。
ですからね、そのために決心がつかなかった。
「まだ松竹にいたいんですよ」 とかね。
そしたらね、いきなり川島さんがね、
「おまはんが来てくれないと、俺は写真がとれないンだよ!」
なんて、大阪弁ぶって言って。
そう言われて、もう僕はそこまで監督が
言ってくれるんだったらと思って
「分かりました」って、言ってね。
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