三橋達也氏インタビュー 09
プログラムピクチャーから娯楽大作へ
三橋 『純潔革命』の次が、
『東京マダムと大阪夫人』(1953・松竹大船) ですか。
このへんになってくると、
もうプログラム・ピクチャーじゃないですよ。
顔ぶれも豪華だし。娯楽大作ですね。
 
**** プログラム・ピクチャーを撮ってた時の
川島監督の雰囲気とは変わってきましたか?
 
三橋  やっぱり、日活に引き抜かれる
だけのことはあってね。
僕が、松竹で『新東京行進曲』だとか、
『純潔革命』に出してもらった後は、
だんだん作品の傾向が違ってきたんです。

つまり、『あした来る人』(1955・日活) とか、
『昨日と明日の間』(1954・松竹大船) とかね。
そういう文芸作品を撮り始めたんです。
その辺で注目されてきたんでしょうね。
シミキンのシリーズを撮ってても、何かひらめきがある、
プロが見るとわかるわけです。
そういうので、誘いが来たんです。
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