三橋 | 『純潔革命』の次が、 『東京マダムと大阪夫人』(1953・松竹大船) ですか。 このへんになってくると、 もうプログラム・ピクチャーじゃないですよ。 顔ぶれも豪華だし。娯楽大作ですね。 |
**** | プログラム・ピクチャーを撮ってた時の 川島監督の雰囲気とは変わってきましたか? |
三橋 | やっぱり、日活に引き抜かれる だけのことはあってね。 僕が、松竹で『新東京行進曲』だとか、 『純潔革命』に出してもらった後は、 だんだん作品の傾向が違ってきたんです。 つまり、『あした来る人』(1955・日活) とか、 『昨日と明日の間』(1954・松竹大船) とかね。 そういう文芸作品を撮り始めたんです。 その辺で注目されてきたんでしょうね。 シミキンのシリーズを撮ってても、何かひらめきがある、 プロが見るとわかるわけです。 そういうので、誘いが来たんです。 |