三橋達也氏インタビュー 04
デビュー作について
**** デビュー作の『あゝ青春』(1951・松竹京都)について教えて下さい。
三橋 

そこの大部屋にいたら、推薦されてね。
藤井静さんってカメラマンがいて、
新興キネマのときの名カメラマンだったんです。
その人が、佐分利信さんが映画を撮るっていうんで、
その時に不良学生が出てくる、
その不良学生が僕のやった役なんですがね。
高峰三枝子さんにからむんですよ。
日本の一番トップの女優さんの高峰三枝子さん、
あと、それにあれする二枚目の売れっ子が若原雅夫さん。
この二人が主役で、その脇に僕が出てたわけです。
その一作で認められたんです。

佐分利さんの監督としての第2作目ぐらいじゃないですか。
それで注目されて、東京中の新聞に書かれて
いくつかは大変誉めしてくれたんです。
映画自体も当たりました。

その時、方々から話がありまして、
星野和平さんて人がいましてね。
その人が自分の財力で、ほとんどの大スターを握っていたんです。
高峰三枝子さんもそうだし、若原雅夫さんもそうです。
角梨枝子なんていたわけです、人気絶頂のね。
その人が全部握っていて大船なんかに貸してたんですね。
今で言うプロダクションみたいなもんです。
その和平さんが、「おい、お前来い」って言って、
で、和平さんに身柄預けますって事になって。
だから、和平さんのいうままに、
大映に出たり、新東宝に出たりしてたんです。

そうやって名前がだんだん売れてきて、
売り出したわけですね。
大映で『安宅家の人々』 (1952・大映東京) なんかやって、
それがハワイでNo.1のヒットですから。
『ハワイの夜』 (1953・新東宝=新生プロ) の撮影から帰って来て、
松竹から話があって「契約しないか」と。
で、正式に大船と契約したわけです。

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