三橋達也氏インタビュー 03
映画俳優になるまで・2
**** 新劇時代については。
三橋 

そこの研究劇団、切符を買わされるわけですよ、
結局、そこに正式に入ったら。
その切符をうちのおふくろが美容院をやっていたものですから
おふくろが引き受けさせられて、お客さんにあげるわけです。
僕がね、普段、袖からねカーテンを開けて、
ひょいと見てみたらね、見慣れた顔が前の方に2、3列いる。
全部おふくろのお客なんですよ。
なんか、わびしくなってちゃってね、学芸会みたいな気がしてね。

それで嫌で、わずかでもそれで給料のもらえる、
いわゆるプロだという意志を持てるところがないかなって。
そしたら、いろんな話がしょっちゅう来るんです。
で、お前一遍行ってみないかってんで、
やっぱり人手が足りなくて、そういうブローカーみたいのがいまして。
行ってみないかっていうんで、
劇団たんぽぽ(水の江滝子さんの主宰した劇団)へ会いに行って、
即日、入れ入れって、大部屋に入ったわけです。
準幹部までいったんですよ。そこで兵隊にとらちゃったわけです。

やがて戦争が終わって、シベリアに連れていかれて、
シベリアから帰ってきて、どこも何もすることがなくて、
ぶらぶらしてて2年くらい遊んでましてね。
その間にチャンスがあって、
大泉の撮影所、今の東映の撮影所ですね。
当時は大泉映画ってのがあったんです。
そこにいた金平軍之助っていう、
もとは大都映画にいた二枚目だった人が、
演劇課長をしてたんです。
それで、そこへいれてもらって・・・・

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