三橋達也氏インタビュー 02
映画俳優になるまで・1
**** 映画界に入るまでの経歴は。
三橋 

1番最初は新劇です。
研究劇団です。戦争中ですからね。
宇野さんだとか、東野さんにしても
みんな思想関係で引っ張られて、
入れられちゃってなんかして。
築地小劇場はがら空きでね、
あそこの土方先生なんかのグループは
公演できなくなっちゃって人がいない。
貸し小屋になってたんですよ。

だから研究劇団という形で、
みんな小さな雨後のタケノコのように。
それぞれけんかして、昔のメンバーが
散っちゃったんですよ、築地のメンバーが。
それの中の1つの小さい劇団があって。
それがどっかでお金を都合してくるんですね。
年に1回くらい公演を打つわけです。
そこの研究生に入ったわけです。

戦争中でしょう。油絵が志望だったんですがね、
多摩帝国美術学校(現在の多摩美大)の先生が、
「お前達ね、油絵なんかやってたら だめだよ、食えないよ。」
それで来ないんです、休講が多いんですよ。
それと、もうこっちはまじめじゃない
もんですから、うろうろ遊んで歩いてたもんで。
おふくろから月謝ってもらっては遊んで、
行かなかったことが多くてね。

それでね、その時、
じゃ生活美術の方がいいやっていうんで
生活美術の中の舞台を志望して、見学に行ってたんですよ。
そうしたら、ある劇団で通行人に出てくれって言われて
それが最初です。

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