三橋達也氏インタビュー 05
松竹大船時代 〜『純潔革命』について-1
**** 川島監督との2作目は『純潔革命』(1953・松竹京都)ですね。
三橋 

僕の、今うちにいますがね、
女房(元・女優の安西響子さん)が、実は
僕の相手役にスカウトされたんですよ。

スカウトされて、実際に撮影に入るまでに色々と準備があるでしょ。
準備の間に体が弱いものだから倒れちゃった。
それで撮影に間に合わないので、
急遽そのあと色々あって草笛光子さんに替わったんですよ。

そのときね、僕は川島さんから、
「今度の達ちゃんの相手はすごくバタくさいぞ。」
なんてこと言われてたんです。
「そうですか」って、言ったきり忘れてて。
ずーっと、京都の太秦で撮影が続いてましたからね。
そんなことを忘れてたんですよ。

ある日、セットの中のアパートのシーンで
二階の、二重になっているセットの上にいたんです。
そしたら、ステージのドアが開いて
大勢の新聞記者が何かくっついてきて、
ぞろぞろ入ってきたんです。
「何だ?」って言ったら、相手役が来たというので
見たらなんとなく老けた感じがしたんすね。
それが草笛さんだったんですよ。僕は冗談にね、
「あれバタくさいんですか?、ババくさいじゃないの。」
って言った思い出があります。

(安西響子さんに)会いもしなかったし。
それが女房だとは知らなかったんですよ。
相当、後になってから、川島監督から言われたんです。

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