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カワシマクラブの歩み
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1983.10
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「没後20年
川島雄三映画祭(於:上板東映)」を開催
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職場の映研「藪睨」と「ダラシネの会」の有志で主催した映画祭。
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1985.4
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雑誌「KAWASHIMA CLUB
<臨時創刊号>」発刊
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上映会のメンバーであった飯塚、野田、橋本、馬場の4人が中心となって編集した雑誌。
以降、この4人がカワシマクラブを名乗ることとなる。
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1988.10
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「下北半島
川島雄三映画祭(於:青森県むつ市)」の主催スタッフとして参加。
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没後25年を祈念して、むつ市の「川島雄三を偲ぶ会」が中心となって、川島監督の故郷にて行われた映画祭。
カワシマクラブの4人は、映画祭のスタッフとして参加し、映画祭のパンフを編集する一方で、目玉企画であるデビュー作「還ってきた男」のニュープリントの実現に尽力した。
更に、東京から映画祭参加者を募ってバスツアーを実行した。
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1990.9
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「川島雄三映画祭(於:青森県むつ市)」にシンポジウムゲストとして参加。
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むつ市教育委員会が主催した映画祭。
前年のバスツアー参加者有志と共に再びツアーを実行。
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1991.2
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新生「カワシマクラブ」発足。
「笑う宝船」と「追ひつ追はれつ」をニュープリント
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むつ市へのバスツアー参加者を加えて映画サークルとして再スタート。
「還ってきた男」のニュープリントに続き、松竹(株)様のご協力により、川島監督の第2、第3回作品を自費にてニュープリントした。
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1992.6
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会報「カワシマクラブ」第1号を発行
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以降、不定期ながら第8号まで発行したものの、記事のネタが尽きて現在は事実上の休刊状態。皆様からの投稿をお待ちしております。
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1992.7
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阿佐ヶ谷映画村「川島雄三作品上映会」を共催。
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白井佳夫氏を中心とした草の根映画サークル「阿佐ヶ谷映画村(惜しくも1997年に活動停止)」と共にニュープリント作品を上映。
以降、ニュープリント作品の上映会を共催していたが、阿佐ヶ谷映画村は惜しくも1997年に活動停止。
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1993.1
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「とんかつ大将」をニュープリント
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井上ひさし氏が絶賛していたことをキッカケとして、ニュープリント第2弾に選定した。
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1994.1
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「深夜の市長」をニュープリント
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1994.3
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名古屋シネマテークにて「深夜の市長」を上映
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名古屋のフィルム上映団体「名古屋シネマテーク」のご協力により、以降のニュープリント作品についても名古屋での上映を実現した。
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1995.1
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「銀座二十四帖」をニュープリント
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(株)にっかつ様のご協力を得、日活作品を初めてニュープリント。
プリントがジャンク処分されたことを聞き、ニュープリント第4弾に選定した。
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1996.1
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「追跡者」をニュープリント
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1997.1
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「夢を召しませ」をニュープリント
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1998.1
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「女優と名探偵」をニュープリント
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1999.1
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「適齢三人娘」をニュープリント
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2000.1
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「こんな私じゃなかったに」をニュープリント
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2001.1
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「明日は月給日」をニュープリント
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2002.6
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「花吹く風」をニュープリント
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2003.11
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「明日は月給日」をニュープリント
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2004
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「昨日と明日の間」のニュープリントを計画するも、
資金調達が困難のため断念。
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2014.5
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川島監督の没後50年に当たり
『監督 川島雄三 松竹時代』を出版
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