No.7  1994年12月22日(木)

川島雄三とアイロニー

田中千世子


 これはカムアウトなのだろうか。それどもキリスト教入信者が良くやるような一種の証なのだろうか。なんだかどても照れくさい。

 ままよ、自分なりの川島雄三講を客くまでだ。むつ市で第一回川島雄三映画祭が開かれた頃、私はオーストリア映画特集を計画しており、‘アイロニー,に夢中になっていた。死の観念さえもアイロニーで彩る。それがウイーンの文化なのだ。モーツァルトの音楽もヴィリ・フォルストの「たそがれの維納」も、現代のニキ・リストやパオルス・マンケアの映画も。と、勢いづいていた。その時川島雄三が輝けるアイロニーの旗手として俄然意識にのぼってきた。「貸間あり」が面自いのも「幕末大陽伝」が何度見ても興奮を禁じ得ないのも、アイロニーのたくましさがあるからだ。おお、そうであったか。と、勝手に悦に入っていたのだが、この見方は今も変わらない。

 「幕末大陽伝」のような傑作は、何度見ても面白いばかりでなく、見るたびに映画というものの魅力にとりつかれる。10月10日の祭日にNHKで放映していたのでひょいと見たら、ロバート・アルトマンの「ショート・カッツ」も品川がロサンゼルスになっただけだということに気がついた。勿論、それはアルトマンの力量でもあるのだが、そうした発見を促す「幕末太陽伝」の普遍性に改めて感動した。

 アイロニーというのは現世の限りない相対化だ。善悪も真偽も幸不幸もこどごどく相対化されていく面白さだ。それでいて虚無に落ちることなく、その虚無さえも相対化するのがアイロニーだ。ラストでフランキー堺の演じる居残り佐平次は居残りを切りあげて旅に出る。その寸前、こはるの客の杢兵衛大尽がしきりにこはるを呼ぷので仕方なく佐平次がとりなしにいく。このくだりはそれまでとガラリ変わって佐平次が後手にまわり、少しも主導権をとれない。彼は何度も杢兵衛大尽に首や胸ぐらをつかまれ、自由がきかない。佐平次が初めて直面する負の現実だ。死の影がぐっと濃くなる。病いがあり、死の不安があるからこそ主人公のオールマイティぷりが枠なのだとはわかっていても、ラストでそれが急にリアルになるのが、いつも辛かった。ところが、今度ほ辛くない。私自身の年齢のせいだろうか。人間いつかは死ぬんだという居残りならぬ居直りが芽生えているのだった。個である佐平次が急に生きとし生けるものであり、やがてほ死すべき運命のものどいう風に見えてきた。だからいよいよ悲しいか、辛いかというとその反対で、死すべき定めの人間が定めも何も品川宿にうっちやって果てしなく駆けていく。これは何ともアイロニー。楽しいったらないのである。

二つの「島唄」川島とバルネット

栗林敬一


 「オオ!市民諸君」を観た。こんな愉快な映画を親たのはほんどうに久しぷりのことだ。登場人物一人ひとりのユニークな存在感、スクリーンいっぱいに響きわたる歌声、一見でたらめにおもわれる物語展開、それらのすべてがあいまって観ているぼくらの心の中は「笑い」で満たされ、なにか自分たちのありふれた日常生活が嘘っぼいものにさえみえてしまうほどだった。

 ここでぽくが思いだすのは、意外にもロシアの映画監替ボリス・バルネットのことです。

 「バルネットの映画を仏頂面で迎えるには、本当に石のように無感覚な心の持ち主でなければならない」

 こう云ったのは若き日のゴダールなのだが、まるで川島雄三の映画について語られているかのようではないか。事実川島雄三とボリス・バルネットとのあいだには、さまざまな共通点があるように思えます。これについてはじっくりと考察してみる価値があるのですが、ここでは川島の「オオ!市民諸君」とバルネットの「青い青い海」についてすこしだけ書いてみたいと思います。

 この二つの映画は、どちらも海に浮かぷ小島が舞台となっていて、どちらも一見ミュージカルとおもわせるほどさまざまな歌声にあぶれています。しかもロマンチックコメディでもある。しかしそういった表面的な類似点はさほど重要なこどではありません。それよりもその語り口にこそ二人の真骨頂があるのです。

 たとえぱ、「オオ!市民諸君」のなかで宣伝映画の撮影シーンが出てきますが、あれなどほあきらかに戦争中の「国策映画」のパロディであるのでしょうし、一方「青い青い海」では、漁業コルホーズにおけるラヴロマンスどいう設定自体に作者のアイロニ一があるはずです。もし「社会派」といわれるような監督が撮ったのなら、いかにも退屈でつまらないものになったであろう題材を、いともたやすくしかもさりげなくコメディにしてしまうところに、この二人の監督の「話術の天才」を感じないわけにほいきません。

 それにしても歴史とはときに残酷なものです。これほど才能のある人達が、生前は正当な評価をうけていたとはいいがたいからです。

 川島雄三の映画は、いわゆる「日本映画」の衰退とともに忘却の淵に追いやられざるをえなかったのだし、一方ボリス・バルネットの映画は、その天性の自由さが災いして、当時のソビエト政府によって不当な扱いをうけたうえに、当のバルネット自身もアルコールに依存したあげくに自殺してしまいました。

 いつの世でも「天才」に悲劇はつきものなのかもしれません。しかし、そうであっても現在を生きるぼくらは、はるかロシアの地から響いてきた島唄と、ばくらのこころの底で響いていた島唄とが、映画という記憶の中で美しく共存できることを素直に喜びたいど思います。

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