No.5  1994年3月5日(土)

映画は見ておかなければ存在しないのと同じ

加藤久徳


 今年に入って、邦画を意欲的に上映ずる各地の劇場で、日活ジャンクフェスティヴァルなる催しが、多少の差異はあれ、開催きれている。旧日活(にっかつ)映画の版権を所有する新日本映像が、35ミリブリントの内、900本近くをジャンク処分すると各劇場に通告したので、その対応があのとおりのラインナッブとなって、我々の目に触れることができた。

 ジャンクに対しファンや識者等、いろいろな声が出ているようだが、今回出された作品に対しては黙って見ておく方がいいだろう。映画ファンという人が、食わず嫌いになってきたことが、ジャンク処分の発端であることは確かなのだから・・・。

 私個人は劇場に勤務しており、内輪のことも、ジャンクされる作品が何であるかも知っている。それに対する私個人の見解もある。しかし、立場上過激なことも書けない。が、他人様の言葉を借りれば <<映画は見ておかなければ存在しないのと同じ。怒るにしても悲しむにしても、まず観てからにするべし!>> これが正しい。

 いざなくなると知って騒ぎ出ず方がおかしいのだ。自分は普通の映画好き。好きな映画を好きな時に見るほうがいい。とか言ってビデオショッブに通い出した時点で《銀幕》ファンでなくなってしまった人が、なんと多いことか・・・。

 自分の見たい映画、あるいは見せたい映画を努力してスクリーンに引っ張り出す人こそ、90年代における真の映画ファンだと私は信ずる。川島雄三監督の映画を愛するカワシマクラプの方々が、皆でお金を出しあってまだ見ぬ川島作品のブリントをおこそうとする活動を知り、自分もそれに一般として参加させてもらった。ふつうの映画サークルと違う志向の高さに共鳴したからだ。

 クラブに入会しないのは、自分が真の川島ファンではないからだけど、川島作品の版権を所有する企業に対し、ネガブリントのみで一般上映ブリントのない作品を16ミりとはいえブリント化し、見てやろう上映してやろうという姿勢は、民間のファンだからこそ意義が大きい。

 松竹時代の川島作品は、時期的にいって現代とは遵い可燃性ブリントの時代にあたるため、不燃性プリントヘの転化の過程で(確かめたわけではない)上映プリントはその時点で(全ての映画と呼ぷべきか)ジャンク処分されてしまったのだろう。

 川島作品を語るとき、たいがい日活以降と決まってる。松竹時代の大船調ラブロマンスやナンセンスコメデイなど、70年代前後から映画狂になった世代はまず見るこどは皆無。『幕末太陽伝』(57)や『貸間あり』(59)などを頭に思い浮かベ、伝説を鵜呑みにして神格化した。しかし、クラブの皆さんは今まで眠り続けてきたネガブリントを発掘し、白日の下に神秘のべ一ルを剥がしていく。

 一本また一本と、戦後から50年代初頭までの松竹作品を銀幕に映し出す喜ぴは最高だけど、同時に今現在の自で松竹時代の川島作品を見ることに恐怖を感じてる。自分がそれに加担しているから、いっそう怖いのだ。

 年1本として21世紀まであと7年としても復刻は終わらない。しかしながら、今、川島作品を愛する我々が2001年になった時、どういう風に彼の作品群を受けとめているのか、そちらの方の興味が大きい。自分のことはどう思う?・・・

 生きているのが恥ずかしくなけれぱ、皆さんど共に、川島作品全回顧上映の21世紀フェスティヴァルに加わっているかもしれない。

『人生の旅人』川島雄三

津島康司


 川島雄三という監督の名を知ったのは大学4年生の時だった。当時、自主映画・小劇場演劇に没頭していた私は、『銀幕迷宮』なる芝居を観て“川島雄三”なる監督の存在を知りなぜか魅かれたのである。

 正直言ってその芝居は某女優を自当てに観に行ったので、芝居の内容はどうでもよかった。しかし、芝居を観ているうちに、“川島雄三”という人物に興味が湧いてきた。

 その当時、日本映画=つまらない、と決め込んでいた私にとってまさに大きな転機とも言える芝居であったかもしれない。早速、中野武蔵野ホールでの川島雄三特集に通い詰めることになったが、とにかく驚いた。「貸間あり」など高橋留美子の「めぞん一刻」を先取りしているし、落語を巧くアレンジする手法は「寅さんシリーズ」の先を行っている。全てが新鮮で、20年以上前にこんな作品があるとは思いもよらなかった。

 おかげで、それ以降は日本映画を見直した次第であるが、監督自身に魅かれるのは何といっても川島雄三である。(作品の出来だけなら小津、黒澤といった名が挙がるのはやむを得ないと思う)

 なぜなら、観ているうちにぶと、疑問を感じたからである。おもしろいのだが妙に無機質で乾いた笑いなのである。何と言うべきか?、劇場で笑っている(私を含めた)観客を見て苦笑いしている監督の姿(顔は知らなかったが)を背後に感じたのである。

 後に、監督の生い立ちを知り、何となく理解した気分にはなったのだが、私はこう思う。川島雄三にとって映画とは旅だったのではないかど。コミュニティに溶け込むことのできなかった自分の人生を皮肉るようにコミュこティにこだわり続けた彼の作品。そして皮肉にもコミュニティが崩壊しつつある今日、彼の作品は今なお新鮮に感じられる。それは、人は誰しも心のコミュニティを求めているからではないか?

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