No.3  1993年2月20日(土)

映像テクニックの教科書・川島映画

根本一豊



 私が初めて触れた川島作品は、TVの深夜枠で放映された水上勉原作の「雁の寺」(大映)でした。コンビニで購入したカッブ麺を頬張りながら裏番組の女子大生を気にしつつこの作品を観ていたのを思い出しまず。京都の坊さんの話であると同時に、白黒という事も手伝って当初は重く暗い日本映画の一本としか考えていませんでした。しかし、いつの間にか魅入ってしまったのです。坊主の滑稽な生活振りと噺の面白さ、そして繊細な映像美に・・。この時を境にして私は後年、川島作品にのめり込むようになっていきました。

 川島作品のスタイルは誰が観ても明らかなように、松竹時代と日活時代以後とでは大きく異なりまず。松竹大船で鍛えられたオーソドックスなスタイルと日活へ移籍してからの躍動する演出力。特にこの日活に移ってからの技法(テクニック)は当時、本当の意味でのヌーベルバーグであったような感じさえします。どこが都会的でリズミカルなカット割り、スクリーンの枠に納まり切れないパワフルな演出等は、人間をより人問らしく突き詰める事で、喜劇に新しい可能性を生み出していった作品群には必要不可欠な技法ではなかったのでしょうか。私にとっての川島作品の魅力とは、このような映像テクニックに因るところが大きいのです。 

 日本映画が斜陽と言われ続けてもう何年経ったのでしょう・・。しかしこのような状況とは裏腹に今日では、条件さえ揃えば誰でもメガホンを持つことができ、毎年数多くの新人監督がデビューします。こういった現象は一部歓迎すべきことだと思いますが、そのために大衆に受けにくい独善がりの個人映画が氾濫してきたのも事実です。映画を創造し、技術を学び、有能な新人監督を輩出し育てていった録影所という母体が存在しない現在、映画を学ぷには映画そのものを数多く観る他にはありません。映画を観ずに撮ることの難しさ、そして恐さ・・。私は他人に川島作品を強制したくはありませんが、今日の邦画界を支える若い映像作家の方々にはぜひとも観て欲しいものです。川島映画は映像テクニックにおける教科書的作品だと思います。

 映画が今日まで歩んできた中で、転換期とも言えたひとつに『“テーマ’から“テクニック”』が生まれてきた時代から、繋がらない絵を無理矢理繋いで、それまでにない新鮮さを醸し出そうとして『“テクニック”から“テーマ”』を誕生させて大衆を惹き付けた時代がありました。これ以後、やたらとこの技法だけが目立ち無味乾燥な作品が軒を連ねまず。別に私はこのテクニックを非難するわけではないのですが、使う側の使い方に問題があります。現代の若手監督は映画全盛時代の監督と達い、完全なTV世代の申し子として、生まれた時からスイッチを捻れぱ映像を容易に手に入れる事ができた世代ですc大衆が理解できる絵を第一にと心懸けた既成作家に対し、第三者に伝えるべく基本的な技法を知らずに、テーマを誇張し過ぎてトリッキ一なテクニックだけが自立った作品は大衆には非常に観ずらく、結果的に焦燥感だけを残す事になりまず。これはTVの映像と映画の映像とでは全く違うという事を認識していないからに他なりません。つまり観客へのサーピスに疎いのです。

 川島作品のジャンルは実に多岐にわたっていまず。文芸、ミュージカル調、喜劇と幅広く様々な素材をごった煮にして、それらをうまく一品料理にしています。このように少しカルト的要素を含んでいるため、一見粗雑な撮り方をしているように思われまずが、作品の内容からは、今日では想像もできぬほどオーソドックスに造られています。じっくりと観て載ければ理解できると思います。決してテクニックにおいては奇を狙っていない事を。例えば、ゆったりと落ち着いた日本間から突然歌を歌い踊り始めても、ドタバタになっても、どんなシーンが盛り込まれても観ている者に決して不決感を与えず、シーンの強弱をつけながらもその背景には一定のスリゾングなリズム感で全体をカバーしています。では何故、どんな状態でも違和感がないように撮れるのか。それは映画とは丹念に細かく撮ったカットの積み重ねであるという基本原理ど、コンティニュティーの重要性を認識しているからです。よって川島作品の絵はただ役者を演出しているのではなく、キャメラマンごと演出しているようにさえ観えてくるのです。

 川島映画は川島監督の映像に対ずる才能がキラキラと鏤められています。映像創造者の方々には一見の価値があると思います。初めて川島映画を観られる方、また何本か観られた方、このような角度からも眺めて載けたら幸いです。

川島雄三監督の魅力と
  松竹作品のニュ‐・ブリント化

櫻井久美子


 数年前、いやもっと以前になるかも知れないが、大井武蔵野館で、川島雄三作品の特集上映を行った時があった。私は土曜日と日曜日を利用してその殆どを観ることができた。そして、川島監督の虜となったわけである。そうして『サョナラだけが人生だ』(ノーベル書房刊)と『KAWASHIMA CLUB』(編集委員会)を貪るようにして読んだ。一気に、川島雄三という人間が、私の申に飛び込んで来た。写真や、岡崎宏三キャメラマンが撮影した8ミリフィルムに収まった川島監督には、色気と翳りがある。俳優には時どして必要とされるそれらが、川島監督からは、居ながらにして漂ってくるのである。そして、豪遊や、彼の残した工ピソードの数々は、映画以前に、人を魅了してやまない何かを持っている。松竹時代の彼の一面は、山本若菜著『松竹大船撮影所前松尾食堂』(中央公論社刊)に、愛情の寵った筆致で描出されている。

 私が今までに観ることのできた川島作品の中で特に好きなものは、(川島作品というとそれなりの思い入れが入ってしまうのだが)「還って来た男」(1944)「愛のお荷物」(1955)「しとやかな獣」(1962)などであろうか。それぞれ、松竹大船、日活、大映東京と製作会社が異なっているのも興味深い。

 川島作品は、喜劇を撮っても観客に媚びることなく、メロドラマを撮っても流されることなく、文芸作品を撮っても独自の路線を保つということが魅力の根源にあるように思う。

 しかし、ここで特筆すべきは、カワシマクラブが独力でニュー・ブリント化した「お笑ひ週間・笑ぶ宝船」(1946)と「ニコニコ大会・追ひつ追はれつ」(1946)の出現である。川島監督の「自作を語る」に拠れば、前者は「恤兵映画。当時、大船で製作していた、ただ一本の映画」ということになるく〉高峰三枝子、佐野周二、原保美、水戸光子という当時、大スターだつた人々が華やかに繰り広げる、レビュ一も入った喜劇である。

 後者は、同じく「自作を語る」では「『ニコニコ大会』というスラッブスティック週間のために作った短編。スラッブスティック映画は見ていないので(中賂)苦労しました。」となる。スラッブスティックとなると、キートンやマルクス兄弟を思い起こすがそれらと比較せず、愉しむことにしよう。そして、スリを主人公にして、最後は、日本では初のキッスシーンを撮った事に拍手喝采しよう。

 公開当時、リアルタイムで生きてはいない私には、嬉しい限りの2本であった。川島監督が、松竹大船時代に創った作品群は、現在ブリントがないということが実状のようである。公開当時、生まれてはいない我々にとってはそれらを観たいという事が切なる願いである。実現への道はロマンでもある。カワシマクラブに入会した今、川島作品に今まで以上に親しみ、彼の再評価に向けての思考を自らの申に発生させたいと改めて思う日々である。

とんかつ大将

この作品が製作されたI952年は、「生きる」「稲妻」「西鶴一代女」「第三の男」「天井桟敷の人々」などが公開された年である。川島雄三にとっては、松竹ブログラムピクチャーの量産時期と言える。この年に『とんかつ大将』を筆頭とし5本、翌年に5本、というハイペースで撮り巻くっている。前年の『天使も夢を見る』が好評で、会社側の覚えめでたく、ホサれていた状態も解かれ、:“商売優先の写真”が続くことになるが・・。“もっとも、これだけは、ちょっど違う”とは、『とんかつ大将』に対する監督の弁である。


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