数年前、いやもっと以前になるかも知れないが、大井武蔵野館で、川島雄三作品の特集上映を行った時があった。私は土曜日と日曜日を利用してその殆どを観ることができた。そして、川島監督の虜となったわけである。そうして『サョナラだけが人生だ』(ノーベル書房刊)と『KAWASHIMA
CLUB』(編集委員会)を貪るようにして読んだ。一気に、川島雄三という人間が、私の申に飛び込んで来た。写真や、岡崎宏三キャメラマンが撮影した8ミリフィルムに収まった川島監督には、色気と翳りがある。俳優には時どして必要とされるそれらが、川島監督からは、居ながらにして漂ってくるのである。そして、豪遊や、彼の残した工ピソードの数々は、映画以前に、人を魅了してやまない何かを持っている。松竹時代の彼の一面は、山本若菜著『松竹大船撮影所前松尾食堂』(中央公論社刊)に、愛情の寵った筆致で描出されている。
私が今までに観ることのできた川島作品の中で特に好きなものは、(川島作品というとそれなりの思い入れが入ってしまうのだが)「還って来た男」(1944)「愛のお荷物」(1955)「しとやかな獣」(1962)などであろうか。それぞれ、松竹大船、日活、大映東京と製作会社が異なっているのも興味深い。
川島作品は、喜劇を撮っても観客に媚びることなく、メロドラマを撮っても流されることなく、文芸作品を撮っても独自の路線を保つということが魅力の根源にあるように思う。
しかし、ここで特筆すべきは、カワシマクラブが独力でニュー・ブリント化した「お笑ひ週間・笑ぶ宝船」(1946)と「ニコニコ大会・追ひつ追はれつ」(1946)の出現である。川島監督の「自作を語る」に拠れば、前者は「恤兵映画。当時、大船で製作していた、ただ一本の映画」ということになるく〉高峰三枝子、佐野周二、原保美、水戸光子という当時、大スターだつた人々が華やかに繰り広げる、レビュ一も入った喜劇である。
後者は、同じく「自作を語る」では「『ニコニコ大会』というスラッブスティック週間のために作った短編。スラッブスティック映画は見ていないので(中賂)苦労しました。」となる。スラッブスティックとなると、キートンやマルクス兄弟を思い起こすがそれらと比較せず、愉しむことにしよう。そして、スリを主人公にして、最後は、日本では初のキッスシーンを撮った事に拍手喝采しよう。
公開当時、リアルタイムで生きてはいない私には、嬉しい限りの2本であった。川島監督が、松竹大船時代に創った作品群は、現在ブリントがないということが実状のようである。公開当時、生まれてはいない我々にとってはそれらを観たいという事が切なる願いである。実現への道はロマンでもある。カワシマクラブに入会した今、川島作品に今まで以上に親しみ、彼の再評価に向けての思考を自らの申に発生させたいと改めて思う日々である。
とんかつ大将
この作品が製作されたI952年は、「生きる」「稲妻」「西鶴一代女」「第三の男」「天井桟敷の人々」などが公開された年である。川島雄三にとっては、松竹ブログラムピクチャーの量産時期と言える。この年に『とんかつ大将』を筆頭とし5本、翌年に5本、というハイペースで撮り巻くっている。前年の『天使も夢を見る』が好評で、会社側の覚えめでたく、ホサれていた状態も解かれ、:“商売優先の写真”が続くことになるが・・。“もっとも、これだけは、ちょっど違う”とは、『とんかつ大将』に対する監督の弁である。 |