私の川島作品の中でのベスト3を選べば、一位が「洲崎パラダイス赤信号」続いて「女は二度生まれる」「還って来た男」の順になろうか。この中で川島雄三らしさの臭い紛々の作晶は‘女は二度生まれる’である。ファーストシーンからラストシーンまで川島トーンというか、なにか他の文芸物にない派生物があるように思う。例えば、問題のラストシーンのあのショットは何を意味するのか。そういえば、やはり「雁の寺」でもまた白黒映画がラストシーンだけカラーとなり、真意は何だろうと考えさせられたが・・・・。
「北京のセールスマン」の中でァーサー・ミラーが、演劇は多義性で成立する、との意味をしばしば言及しているが、映画も全く同じであり、名画と言われる作品には、多くの含みがあり、何回同じ作品を見ても新たな発見があるものである。この点「女は二度生まれる」のラストシーンの一人ぽつねんと座る若尾文子には、不可思議な、これからの生まれ変わりを象徴するようでいて何とでも解釈できる曖昧さがあり、私は大好きである。その他にも個々のディティールに忘れられないシーンが数々あるが、あの靖国神社の裏手の私娼家で聞こえる太鼓の音は、川島雄三らしさで唸る思いである。さらに、寿司屋の開店前のシーンでの第九交響曲の響きの空しさ。とにかく、「女は二度生まれる」には、他の文芸物にない仕掛けに溢れる作品であった。
第一作の「還って来た男」は、映画監督川島雄三の面目躍如の作品である。あの時代にあのように時代の痕跡の希薄な作品が、かってあったであろうか、と思わせる映画であった。確かに物語りは戦争から還って来た男の周辺の話であり、軍医であった男が復員し、身のふり方のエピソードである。確かに1944年制作の物語であるけれども、これほど時代性を払拭することは希有なことであろう。さすが川島雄三である。「還って来た男」のファーストシーンは、階段であり、後の川島作品の原型がすでに表れている。階段=坂と便所は川島がこだわり続けたものであった。
「洲崎パラダイス赤信号」は、作品としては最も完成度の高いものであり、主演の新珠三千代の代表作といってもよいであろう。洲崎地獄へはまりこんだ女と男の泥沼の足掻きである。この映画は川島雄三作品の最高峰である。数々の忘れられないシーンがあるが、一つだけあげると、やはり階段で、男が刺されて、人々がわれさきに降りて行くシーンでは、何が起きたのか解らない不安が画面に滲み出てくるような見事な演出であった。情痴映画の傑作として、日本映画史上に残る作品である。
今まで見た作品は、そう多くはないが、その中で三作品以外では「貸間あり」は印象に残った作品であった。見て“なんだこれは1”というのが第一印象であった。ちょうどジャンルが違うが芝居における、つかこうへいの作品に匹敵するような感じである。出てくるキャラクターが、その破天荒、メチャクチャさは、まさにつかこうへいの世界を10年以上も前に先取りしたものだ、といってよい。もし、川島雄三が死なず続けて活躍していたら、この傾向の傑作が生まれていたであろうにと思うのは、私だけではないだろう!今まで見た作品は、全部の半分もいかず威張れたものではないが、好きな作品として思いうかべてみた。私の川島雄三感としては、結局、あまりに器用貧乏だったのではなかろうか、という思いが強い。適当にプログラムピクチャーもこなしながら、それにはまりきれない才能をもてあまし、浪費させてしまった。川島雄三に、世渡り、処世を期待するのは、どだい無理だろうが、生きていたら「貸間あり」の延長上に傑作が生まれていたと想像する。それは一体どんな作品であろうか・・・。 |